誕生日で作れるオリジナルパワーストーン
私はパワーストーンのお店で自分の誕生日でオリジナルのパワーストーンを組み合わせて作れるストラップを作ってもらいました。すると、絶対にかなわないと思っていた遠距離で同業者の人と仲良くなり付き合えるようになりました。お礼を伝えにパワーストーンのお店に行った時に彼氏様に同じオリジナルのパワーストーンのストラップを作ってもらいプレゼントしました。
私がはじめて、パワーストーンを知ったのは、高校生ぐらいの頃です。当時占いなどに凝っていました。不思議なもの、神秘的なものが大好きでした。おのずと、パワーストーンなどもいろいろな占い雑誌などから、触れる機会が多かったです。しかし、私の住む町にはそういったパワーストンなどを売るお店は一件もありませんでした。私は、お金を貯めて、通信販売を利用してはじめて、パワーストンを購入したことを覚えております。
【ぶらり東海ナビ】
岐阜県恵那市明智町で7月31日に行われた「大正百年」を祝う改元記念式典とちょうちん行列。記念行事は、市のほか旧明智町が27年前に“立村”した「日本大正村」が準備し、村長で女優の司葉子さんら関係者の尽力で成功裏に幕を閉じた。「明治百年」は昭和43年、国をあげて祝ったが、大正は地方の小さな町が主導するしかなかった。わずか15年間で「大正デモクラシー」や「大正ロマン」などの言葉を生んだ時代だが、明治や昭和に比べて過小評価の感がある。式典で大正村は「大正の精神の継承」を高らかに宣言。お祝いムードでわいた大正村を伝える。(中部総局 山根忠幸)
熱気みなぎる式典
「こんなに集まり、予想外の驚きです」と、式典を担当する市観光交流室の小川智明室長の声が弾んでいた。会場の明智かえでホールは定刻の午後1時前には、詰めかけた住民らで超満員となった。500席のホールは、立ち見では収まらず、通路に座り込む人の姿も。あふれた住民は、ロビーのスクリーンに映し出される中継映像に見入った。
記念式典は、セレモニーなのだが、会場には熱気が漂っていた。村のシンボルの洋風建物「大正ロマン館」が完成した平成6年ごろには、年間約50万人の観光客でにぎわった大正村。ブームが去って久しいが、会場を訪れた住民の熱い思いは、立村当初やブーム時を想起させるものがあった。
司さんは、「大正モダン」を感じさせるブルーの洋装で演壇に立った。13年前、2代目村長の就任を前にJR中央線の恵那駅に降り立ったときを振り返り、「(ここは)かつて映画の『青い山脈』(昭和32年封切り)で1週間ロケをした思い出の地。現在の可知義明市長もエキストラで出演していただき、懐かしい再会でした」と、映画が縁で村長に就任した話を披露した。さらに「大正は15年の短い期間ながら西洋文明も受け入れ、日本の基礎となった」と評価し、「百年に向けて恵那市に実行委を組織し、大正時代を振り返ろうと全国に呼びかけてきた」などとこれまでの取り組みを報告。「明治は大正の人が、大正は昭和、平成の人が見守ることこそ使命。(今日を)全国で大正を振り返るきっかけとしたい」と呼びかけた。
可知市長は「大正12年には関東大震災があったが、東京は復興した。ぜひ、大正を学び、東日本大震災の復興を果たしてほしい」とあいさつ。鈴木克昌総務副大臣が「大正村は地域力を高める」との大臣メッセージを紹介した。また古田肇岐阜県知事は「学生だった昭和43年、全国各地で明治百年を祝った。一方、大正はこれが全国唯一の式典で、大正をしっかり検証することで誇りとしたい。(大正村は)大正のふるさとで、大切にしたい」と強調。そのうえで「隣の中津川市にリニア新幹線の駅建設がほぼ決定しており、首都圏と約30分でつながる」と、この地域の観光を含めた発展の可能性を示唆した。
最後に司さんが「大正百年を記念し、古きよき大正の精神を、未来にわたり継承の努力を尽くすことをここに宣言します」と記念宣言を読み上げると、ホールは賛同の拍手と熱気に包まれた。
住民の親切が宝
大正村には今回を含め延べ4回、足を運んだ。うち最初の2回は、生の雰囲気を感じるため、1人の観光客として歩いた。村は閑散としていた。「明治、大正の風情を残すが、活気に欠ける町」が正直な感想だった。だが、住民は素朴で、“お節介”とも思えるほど親切だった。大正村は「大正の生活文化、思いやりの心がベースの日本人みんなの村」との理念を掲げている。ことさら「大正」と唱(うた)わなくても、現代では希薄となった「思いやり」や「素朴さ」などが、住民にはあった。
式典の当日は午前中に到着し、目当ての喫茶「天久」に向かった。この日は傘が手放せない空模様だったが、道筋には大勢の観光客の姿があった。喫茶店は、大正12年に京都で誕生したカフェー「天久」の内装を模しているという。かつて京都の文化人が通ったとされるが、昭和61年にその歴史を閉じた。その際、内装や什器(じゅうき)などが大正村に寄贈され、復元されたと知って訪れた。コーヒーもホットケーキも何でも300円。実に分かりやすいメニューだ。店内にはおばちゃんたちが大声で交わす世間話が響いていた。「ねえ、式にいく」「いくいく、おとうさんはパチンコの方がいいらしいけど」と、式典を話題に盛り上がっている。
そこに中年の観光客らしい夫婦が入店。男性が「村はいつできたの」などと、気さくにおばちゃんたちに話しかけていたが、「産経新聞の夕刊(7月30日付)をみて、大阪からきた」と漏れ聞こえてきたときには、「えっ」と驚き、喜びもした。昨日出稿した私の記事だ。しかし、続く言葉で奈落の底に突き落とされた。男性が「(中央道の)恵那インターで降りたが、遠回りでないか」と疑問を口にしたのだ。
実は、夕刊の地図には恵那インターを書き入れ、西方面からの最寄りである、一つ手前の瑞浪インターを外した。そのことの指摘だと思ったが、男性には声を掛けそびれた。外した理由は、両インターを利用して大正村まで車を走らせたところ、恵那の方がシンプルで分かりやすく、瑞浪からだと何度か迷ったため。親切のつもりだったが、両インターを明記すべきだったと反省。「大阪のおっちゃん、堪忍」。
さて、この夫婦は間もなく店を後にしたが、すぐに引き返し、道を尋ねていた。おばちゃんたちは、嫌な顔ひとつせずに道路に飛び出し、身ぶり手ぶりで道案内。当然といえば当然だけど、妙に観光地ずれしていない親切さがあふれていて、こちらの失点を取り返してもらった思いだった。
踊るちょうちんの灯
式典に続き、会場では、記念イベントが行われ、童謡コンサートや大正琴の演奏、大正モダンファッションコンテストなどがにぎやかに繰り広げられた。夕方からは記念パレードで、恵那市消防音楽隊が先導し、イベント参加者が目抜き通りを練り歩いた。
フィナーレは、村が闇に包まれた午後7時半に出発のちょうちん行列。住民約500人が参加し、沿道約700メートルには、ろうそくが並べられて幻想的な雰囲気を演出。「祝 大正百年」の横断幕を先頭に、大正村の平林典三理事長、司さんと夫で元国務大臣の相沢英之さんらが笑顔で歩く。住民たちが手にするちょうちんの灯りが、沿道の大正などの建物を照らし出し、村はお祝いムード一色に染まった。
大正村では、このあとも記念行事が予定されている。10月29日から12月4日まで、「竹久夢二と大正浪漫の世界展」が大正ロマン館で。11月20日には、大正ゆかりの全国各地の商店街などが集う「大正百年まちづくり交流会IN日本大正村」が、村内を会場に開かれるなど、百年の取り組みが企画されている。
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